こんにちは、広報担当の大坪です。
本日は天井について書いて行こうと思います。と言うのも、このブログで「床」「壁」とそれぞれ書いたもので、天井も書かなきゃ・・・と言うのは半分冗談、でもないのですが(笑)
そういう言うわけで、本日は天井について、歴史や構法をご紹介します。
天井の歴史
天井がない!?
現代に暮らす私たちにとって、天井はあって当たりまえの構造物です。しかし「寝殿造」あの有名な平安貴族の屋敷は、なんと天井が無かったのです。
壁の回でも「壁がなかった」と書きましたが、なんと天井も無かったのですね。
天井が無いって、空丸見え!?ではなく、寝殿造は平屋ですので床から見上げると屋根、天井板が張られておらず屋根の裏側がむき出しの状態と言うことです。
畳は移動式、壁も無い寝殿造は、広い空間を可動式の間仕切りで自在に使用していたため、天井を張る必要がなかったのです。
特に当時の貴族は冬の寒さより夏の暑さをとても嫌いました(前回の「壁」の回を参照)。そのため可能な限り開放的な構造を好んだと考えられます。
画像左:厳島神社 回廊/屋根しかないですね。
画像右:厳島神社 拝殿/こちらも天井はなし。
天井の登場
日本建築において天井は、奈良時代や鎌倉時代の仏堂などに見られることはあるものの、住居で用いることはほぼありませんでした。天井が用いられるようになるには、書院造の発展が大きく関わってきます。
本来書院はプライベートの書斎として使われていましたが、武士が来客対応や交渉事を行う事に重きをく事により徐々に用途が変化していきました。個室を用意し畳を敷き詰め、壁、障子、欄間等が間仕切りとして発達し、天井が貼られるようになりました。
そして武家政権の権威が大きくなるにつれて、書院造でも格式にこだわるようになります。座敷飾りや襖の金碧障壁画などと同様、天井にも格式高さを表すための工法・技法が施され始めました。
画像:二条城 二の丸御殿 大広間/書院造りの特徴である床の間、違棚、付書院、帳台構を備え、豪華な折上格天井(後述)を用いています。
引用:元離宮二条城公式Webサイト/https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/introduction/highlights/ninomaru/
天井の種類
竿縁(さおぶち)天井/網代(あじろ)天井
一般的な現代住宅の和室でよく見られる天井は「竿縁天井」と呼ばれます。野縁と竿縁と言う木で天井板を挟み、吊り木で梁に固定する“吊り天井”の一つです。
現代の住宅では和室が減り、数寄屋造(茶室建築を採り入れた住宅様式)に多く用いられていた竿縁天井が主流になりました。武家屋敷である書院造としては格式の低い構造で、二条城の二の丸御殿では物置に竿縁天井が用いられています。
竿縁を通す時は向きに気を付ける必要があります。床の間に向かって部屋を縦断するような通し方は「床挿し(とこさし)」と言って床の間に向けて突き刺すように見えるため、武士が忌み嫌う物でした。床の間は上座ですから、そこに座る人物“主人→君主”を刺すようで縁起が悪かったのでしょう。
ところが、何にでも例外はあるようです。
石川県金沢市の「兼六園」に、十二代当主・前田齊廣が奥方のために建て、十三代齊泰が空間を作り上げた“巽御殿(たつみごてん)”、現「成巽閣(せいそんかく)」があります。
成巽閣(せいそんかく)内の「越中の間」は竿縁天井があり、床挿しになっているのです。武家の奥方の為の建物ですから武家が忌み嫌う手法を用いるのは意外な気がしますが、隠居所ということで細やかな心配りに満ちた優しく雅な空間を作り上げ、通常の武家の正殿のような堅さはなく書院造の中でも優しい様相を呈しているそうです。
とは言え「越中の間」の床挿し竿縁天井は、実は「網代(あじろ)」と言う木や草や竹などの植物を薄く加工したものを材料として平面状に編んだ「網代天井」部分と斜めに組み合わされています。床前の斜め半分を網代天井にすることで、床挿しを防ぎながらも趣向を凝らした大胆な工夫が特異な意匠になっているのです。
画像左:兼六園 成巽閣 越中の間
引用:成巽閣公式Webサイト
http://www.seisonkaku.com/midokoro/ajiro-no-ma.html
画像右:網代天井/修学院離宮 隣雲亭(りんうんてい)廊下
引用:宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori16.pdf
格天井(ごうてんじょう)
格天井は、格縁(ごうぶち)という角材を格子状に組んだ物を梁から吊り下げ、格子の間に板を張る構造です。二条城の二の丸御殿・大広間が代表的ですが、様々な天井造りの中でも格式高い天井とされます。
構造や仕上げに細かいバリエーションがあるのが格天井の特徴でもあります。
天井の一部を一段高くすることを「折上」と呼びますが、二条城の二の丸御殿大広間・一の間の天井は折上げの中心を更に折上げた“二重折上格天井”と言う最上級の格式を持つ構造です。
更に格子を白木のままではなく漆で黒く塗る手法で、全体の格調高さを表しています。これは現存する江戸城の設計図を見ても同じ造りで、書院造の中でも最も権威ある造りであったことがわかりますね。
画像左:二条城 二の丸御殿 大広間一の間の二重折上格天井
引用:号外NET Webサイト
https://kyotoponto.goguynet.jp/2021/07/08/nijoujoutaiseihoukann/
天井画は美術工芸品ではなく「国宝建造物の一部」として扱われているそうです。
画像右:京都御所 御車寄/出典:日本の旅
http://www.uraken.net/rail/travel-urabe288.html
京都御所では格式を重んじられ、場所により用いられる天井に違いがあります。
こちらは昇殿を許された者が、正式に参内するときに使用した玄関。訪問者用の玄関ですらこの格式です。
小組格天井(こぐみごうてんじょう)
天井の天井板面・格縁間に,さらに小型の格子を細かく組む構造です。制作に時間と繊細な作業が要求されるため、格天井より更に格式が高いことを示します。
画像:京都御所 御常御殿・中段の間 折上げ小組格天井
引用:宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori16.pdf
更に、天皇が正式に対面を行う場合の御座所とされる部屋には、“二重折上小組格天井”が用いられています。もう、何と言って良いか・・・格式高すぎます。。。
画像:京都御所 御常御殿・上段の間 二重折上げ小組格天井
引用:宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori16.pdf
見た目にわかりやすい派手さだけで格式は現わさない。「日本の美徳、ここに極まる。ついでに感極まる。」と言う気持ちです(泣)。
船底(ふなぞこ)天井
船底のように三角形に中央が盛り上がっている天井です。
天井を上げることによって、室内空間が広く感じるようになります。 和室で用いられてきましたが、特に数寄屋造りの住宅で多く見られます。
化粧屋根裏
水平な天井が無く、屋根裏を意匠として梁などの木材をそのまま見せている状態,もしくは勾配状に天井を張り,屋根裏のように見せている天井を言います。
画像左:化粧屋根裏天井 京都御所 紫宸殿
即位式などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿。
画像右:化粧屋根裏天井 桂離宮 賞花亭
桂離宮では御茶屋が散財するが四季を愉しむ4つの御茶屋が有名で、そのうちの一つが賞花亭。
画像引用:宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori16.pdf
最後に
天井の歴史や種類、改めて読んでみていかがでしたか?
天井が無かった時代は寒そうだし、格式高い天井は落ち着かなそう、寝転がっても休まらないんじゃ?なんてどこまでも庶民な感想の私です。
“武家の書院造で発展した天井の最高ランクが御所”と言うのが何とも「日本」で良いじゃないか、という考えに落ち着いたところで、本日はこの辺りで。
いつもお読みいただきありがとうございます。
― 追記 ―
注※歴史好きのたわごととしてお読みください。
天井繋がりで。工法とか格式とかではないのですが、最後まで主君に忠臣として仕え散った武士達の、鎮魂の天井があります。
京都市内7か所(だったかな?)の寺に分散して納められた、伏見城に散った侍達の血と油がしみ込んだ床板で造った「血天井」です。
床をより空に近い天井に作り替えたと言うのが、、、何か込められた思いを感じる所です。
画像:養源院/血天井で一番有名なのはここでしょう。
養源院は、豊臣秀吉の側室・秀頼の母である淀殿の嘆願によって、淀殿の父・浅井長政の菩提寺として秀吉によって建立されました。その後焼失したため徳川秀忠の正室・長政3女の江によって再建されました。
血天井は割と有名ですが、実は日本で唯一ここだけで見る事が出来る不思議な光景“3つの何か”があります。ぜひ訪れてみてください!
※ヒント:淀殿、江、江の娘の嫁ぎ先